スタッフコラム

中藏ではたらく人/工務部 藤井崇宙

文:下尾芳樹

ちょっと品ある兄貴

「兄貴分」という言葉があります。少し任侠の世界もイメージしてしまいそうですが、頼りがいがあって、みんなをぐいぐい引っ張っていく男性用語です。目上の人を敬う意味もこもって、男性なら誰でも一度は言われてみたい呼称ではないでしょうか。
中藏では現場監督として男女10人が働いていますが、その兄貴分的な存在が藤井崇宙さんです。中堅・若手の中で最も入社歴が長く、今年で16年目になります。強面なところがなく、飄々として温厚そうな風貌はどんな時も変わりません。ぐいぐい引っ張っていくというよりも、仲間のペースに合わせてリードしていくような、ちょっと品ある兄貴なのです。

水戸芸術館シンボルタワーとの出会い

藤井さんは兵庫県の出身で、茨城県の茨城大学で学生時代を過ごしました。
「理科系人間だったので、土木学科に進みました。でも、土木は規模が大きすぎて、自分の間尺には合っていないのではと感じていました。」悶々としていたある日、水戸市内を歩いていると、水戸芸術館のなんとも奇抜な塔のような建築物に出遭いました。水戸市制100周年を記念して建てられた、その高さ100mのシンボルタワーの造形を前に釘付けになったと言います。

「何これ。変わった建物やないか。建築の方が土木より性に合っている。」

天啓なのか、偶然の開眼というべきか。大学卒業後に就職せず、そのまま京都府中部地域にある南丹市園部町の建築専門学校で学び直すことに。即決即断で土木から建築に方向転換しました。

挑戦をしたくて中藏の門を叩いた

2年間、専門学校で建築の基礎を学び、中藏に入社したのが23歳の時。
「大手の工務店を含め何社か内定をもらっていましたが、組織が大きくなると、どうしても自分を出しにくい。駒としての役割しか求められないように思って…。」
組織に縛られるより、むしろ自由人でいたい気分の方が勝っているようで、中藏を選んだのも「自由な雰囲気」に吸い寄せられたと言います。
「当時、今よりも会社の規模も小さく、さまざま職種を経験した人もいて、ここならば自分をいかせる。安定よりも挑戦」。そう思って門を叩いたそうです。

これからも自分らしく飄々と

それから中藏一筋で歩み、今では後輩たちの指導にも努めています。現場では数多くの職人さんを束ねなければなりません。予定通りに施工は進まず、若手監督には経験不足から失敗はつきもの。ただ、失敗は業績に直接影響するため、厳しい叱責があってもおかしくはありません。
「怒って伸びる人もいるでしょうが、僕のスタイルではありません。」
取材中、失敗を打ち明けられて相談に乗る藤井さんの姿を見かけたことがありますが、寄り添うように聞き入っていた姿が印象的でした。ベテラン監督の域に達した今もペースを守り、飄々とした兄貴の存在は大きいようです。