文:株式会社 中藏 工務部 松井 清貴
「解体してみないとわからない」それが町家の面白さ
現在メインに担当している仕事は、町家を改修したり旅館などにリノベーションする仕事です。町家改修の面白さは「解体してみないとわからない」というミステリアスなところです。古い建築ですから、当時の図面が残っていることはまずありえません。そのため、床や壁、天井を解体してはじめて「こうなっていたのか!」がわかるんです。そして、そこから「どうしよう?」が始まります。
ご存知のように町家の壁は薄い土壁で断熱の機能はほとんどありません。そのため、改修にあたっては断熱材を内側から施工し、その上に新しい壁を設けるのですが、経年変化による味わいがある壁はその場の判断で断熱施工をせず、設計士と相談してそのまま残すこともあります。また、柱や梁をそのまま使うのが改修の基本ですが、老朽化した箇所は大工さんと相談して部分的に新しいものと交換することもあります。ただし、こうすれば良いという正解があるわけではなく、監督の力量で良くも悪くもなる、その「試されている感」がなんとも言えませんね。もちろん失敗もあります。かつて、解体工事中に屋根瓦が一気に落下してしまい、町内を土ぼこりだらけにしてしまったこともあります。
建築の仕事に就くつもりはなかった
父親は建築関係、寺社などの基礎をつくる仕事をしていました。70歳を超えた今も現役です。いわゆる「ひとり親方」だったため、私は中学生の頃から父の手伝いをしていました。夏休みのあいだ中、汗だくになってずっと砂袋を運んでいたこともあります。また、伏見稲荷の参道を登る軽トラの荷台に立っていて千本鳥居にしこたま頭を打ちつけたことも。そんな経験から、「建築=しんどい仕事」でした(笑)。だから建築の仕事だけには就かないようにしようと、大学も文学部に進学したんです。中学高校の社会科の教員の免許も取りました。しかし不思議なもので、大学卒業後に建築の専門学校に進学したんです。そして結局、このように建築の仕事に携わるようになりました。
入社当初は先輩について、店舗づくりや公共建築の仕事など、さまざまな案件を経験しました。そのような中から、次第に町家改修の仕事がメインになってきた感じです。自分から希望したということもあります。専門学校で建築を学んでいた頃から、鉄骨造やコンクリート造の建築より木造建築が好きだったからです。
また、木造建築のスケール感やつくり方も自分に向いているのかもしれません。鉄筋コンクリート造などの大規模な案件になると、システマチックに段取りを進めていかなければたちまち現場が止まってしまうので、淡々と作業が進みます。それに比べて、町家の改修などでは人に依存する部分がずっと大きい訳です。ただ、大工さんや職人さんは皆さん自分の技にプライドを持っていますから、意見が対立することも。そんな彼らがバラバラにならずチームとして束ねるのが自分にとっての大切な仕事だと思います。私自身も時に熱くなってしまうこともありますが、「チームを動かして良い仕事をすること」に、いまは一番やりがいを感じています。
大工さんの高齢化が目下の悩み
これからもできれば木造建築、特に町家に関わる仕事に携わっていきたいですね。しかし残念なことに京都市内では年々、町家が取り壊されて新しい建物に変わってしまっています。中藏としては、自分たちの改修や維持の技量をより高めるとともに、家主さんが町家を取り壊さずに残していける仕組みを提言していかなければならないと考えます。町家を改修して住み良い住宅になったり、リノベーションして素敵な店舗になる姿を増やすのも、その一手かもしれません。
また、大工さんの高齢化も現場では深刻な課題です。現在、大工さんの多くが60歳を越えています。このままでは近い将来、木組みを扱える大工さんがいなくなる可能性が高いのではないでしょうか。結果として、町家を改修することは誰もできなくなり、京都のまちなかがプレハブ住宅だらけになってしまう可能性だってあります。一刻でも早く、いまの大工さんが持つ技術を次の世代に継承していく仕組みをつくり、家づくりが若い人たちにとっても働きがいと誇りを感じてもらえる仕事にとして、広く認知されることを願っています。