スタッフコラム

京都で家を建てる(12)あらためて「京町家」について知っておこう

京町家イメージ

私たち中藏は、「ひと、まち、わざをつなぐ」をステートメントにして、京都の日々の暮らしや文化に密接した建築である京町家とその町並みを守っていくことを大切にしています。なかでも「まちをつなぐ」は、単に町並みの景観を継承していくということだけでなく、そこに根ざしてきた文化や地域社会のあり方、生活の知恵なども含めて受け継いでいくという意味を含んでいます。

ところで「京町家」って何でしょうか? 意匠的な特徴はなんとなくわかるものの、なぜそうなったかをご存知の方は少ないかもしれません。今回のコラムでは、知ってそうで知らない京町家の成り立ちと今後の可能性について、あらためて整理してみたいと思います。

京町家イメージ

大切な観光資源である京町家

まず、現在の京町家の役割についてみてみましょう。いまでも多くの京町家が住宅や店舗、あるいは店舗兼住宅として使われています。さらに近年は、使われなくなった京町家を店舗や宿泊施設として改修・再生(リノベーションといいます)しているケースを、町中で多く見かけます。これらの京町家が軒を連ねる町並みによって、大都市でありながら歴史情緒の残る景色を作り出しています。その景観は、寺社仏閣などと並び、京都の大切な観光資源となっています。

また、町家をリノベーションして「一棟貸し」をする宿泊施設においては、町家の暮らし心地を疑似体験することができ、日本のみならず世界中の観光客に好評を博しています。

町家の誕生と特徴

京町家の誕生は、京都に都がおかれた平安時代にさかのぼるといわれます。都となり多くの人が流入して人口が増えるにつれ、そこで商売を行う人が現れ、通りを挟むようにして店舗兼住宅が高密度に建ち並ぶようになりました。これが京町家の原型です。

時代がすすむとともに京のまちは経済的な発展を遂げていきます。通り庭(玄関から裏庭までの土間の部分)に入ってすぐの場所は、店舗部分としてショールームや商談スペースとして使われました。一方、通り庭の奥の台所(走り庭)から先はプライベートな居住スペースですが、経済的に豊かになった人々は、ここに奥の庭や、庭に面した座敷、床の間を、職人の技を凝らして設えることで、四季の移り変わりの眺めや、お茶やお花、句会といった趣味を楽しむようになりました。こうして、京町家の「プラン」の原型ができあがっていきました。

外観的な特徴では、通り庇(ひさし)や出格子、虫籠窓、駒寄せなどがありますが、厳密なフォーマットがあるわけではありません。格子は家の中からは外の様子が分かる一方、外からは目隠しになることを考えたもの、また、虫籠窓は二階の通風や採光のためと同時に、近隣に火災が発生した際、延焼防止を考えたものと言われています。このように、地域コミュニティを含めた生活や、商売のことを考えた工夫の積み重ねが、現在の京町家の意匠として、いまに継承されています。

システム化されている京町家

工夫の積み重ねによってできた建築とはいえ、やはり統一感があるように見えるのが京町家の特徴です。その理由は、1708年の「宝永の大火」と、1788年の「天明の大火」にあります。二度の大火から復興する際に、短期間に大量の建築を行わなければならず、その際に意匠や寸法体系の「規格化」が行われたといわれます。さらに、維持補修の際にも部材が標準化されている方が都合が良いため、次第に建築とその維持修繕がシステム化されるようになりました。これが、整然と建ち並ぶように見える京町家の理由です。

さらに、規格化・標準化することにより、柱などの木材や瓦、壁土などが再利用可能となりました。再利用されることにより、廃棄される材料は少なかったともいわれます。京町家は、いまでいうところの「地球にやさしい建築」でもあったわけです。

京町家のこれから

以上のように、京町家は維持修繕していきながら次の時代、世代に継承していくシステム化された建築です。このことは、今後もシステムとして京町家を引き継いでいける可能性を示しているといえます。そして、京町家を引き継いでいくということは、単に建築物を残存させるだけでなく、千年以上続いてきた都市文化の中で培われた、人々が職住共存しながら高密度に暮らす都市居住の文化や知恵を形として伝えることにつながります。

一方、四季折々の変化を愛でながら、「模様替え」など日々の生活に季節感を取り込んできた生活習慣は、一年中エアコンの中で暮らし、季節感が希薄になった私たちが、もっと見習うべきことかもしれません。さらに、ものづくりや商い、お祭りといった交流を通じてコミュニティと関わっていくために、家の一部をコミュニケーションの場として開放してきた間取りの考え方は、これからの都市生活や都市型住宅のヒントになるかもしれません。

このように、私たち中藏がとなえる「ひと、まち、わざをつなぐ」は、単に懐古趣味で京町家を残すことを推奨しているのではなく、そこに埋め込まれた「まちで暮らす知恵」を掘り起こし、自分たちの仕事に反映していきたいという思いがこもっているといえます。